「認知的倹約家」ってどういう意味?文脈や具体例で理解しよう!

認知的倹約家とは?イメージ画像 心理学・生き方・スピリチュアル

「認知的倹約家」は、Susan FiskeとShelley Taylorという心理学者が提唱した概念です。

人間は、視覚や聴覚などの感覚器官から入ってくる全ての情報を取り入れて処理しようとすると、入ってくる情報が多すぎて脳が処理しきれず、大きく疲労してしまいます。そこで、人間は問題解決に際して、特別に意識を向けない限り、外界から感覚器官を通して入ってくる情報を無意識的にセーブする傾向を持っています。

このような、感覚器官を通して流入する情報を無意識的にセーブしようとする傾向について、人間は「認知的倹約家」である、と表現されます。

このページでは、「認知的倹約家」という言葉について、どのような意味があるのか?どのような文脈で用いられているのか?どのような具体例があるのか?などのポイントに絞って解説していきます。

認知的倹約家とは?どのように説明されている?

「認知的倹約家」について理解するために、本やWebサイトなどでどのように説明されているのかを最初に確認しておきましょう。

たとえば、「認知的倹約家」について、放送大学のテキストでは以下のように説明されています。

私たちの身の回りにはいつも無数の情報があふれている。情報処理アプローチの考え方に基づけば、人間は、こうした情報を感覚器官から入力し、必要な情報処理を加え、行動として出力するわけだが、コンピュータと同様に人間の情報処理能力にも限界がある。つまり、私たちを取り巻くすべての情報を処理しようとすれば、オーバーフローしてしまうし、情報処理には時間や労力がかかるので、常に限界まで情報処理をしていれば瞬く間に疲弊してしまう。そこで人間は、特別な理由がない限り、必要最小限の時間や労力のみをかけ、限りのある認知資源を無駄遣いしないよう努めていると考えられている。これが「人間は認知的倹約家である」という比喩の意味するところである。

――森 津太子・向田 久美子「心理学概論」(放送大学テキスト)より引用。

また、海外の心理学に関する専門サイトAlleyDog.comでは、「認知的倹約家」について以下のようにまとめられています。

「認知的倹約家」(cognitive miser)という言葉は、1984年にSusan FiskeとShelley Taylorによってつくり出された言葉であり、複雑で労力のかかる方法を用いるのではなくもっとも簡単で分かりやすい方法で問題を解決しようとする、人間の脳が持つ能力や性質を表したものである。そうすることにより、脳はエネルギーを節約しているのである。この考え方は、社会認知理論や社会科学のその他の領域で広く用いられている。

――AlleyDog.com,”Cognitive Miser definition”より翻訳・引用。

つまり、「認知的倹約家」とは、人間が持つ、入ってくる情報量を抑制し、できるだけ複雑にならない方法で問題解決を行おうとする傾向を指す言葉であることがわかります。

そして、人間が認知的倹約家であろうとする理由は、問題解決に費やすエネルギーの量を節約することに他なりません。

認知的倹約家という言葉はどんな文脈で使われたの?

「認知的倹約家」という言葉の意味するところや、社会科学などの分野で用いられていることはおわかりいただけたと思います。

しかしながら、言葉は意味を知っているだけでは作った人の意図するところとは異なる文脈で使用してしまいかねません。

そこで、、「認知的倹約家」という言葉は元々どのような文脈で用いられていたのか、を確認しておきましょう!

以下は、海外の医学的な情報などを提供しているWebサイト”FICKEWIRTH”の説明を引用したものです。

社会心理学者のSusan FiskeとShelley Taylorは、人間が、先入観に基づいて他者を定型化することによって、ある人の発言や振る舞いに影響を与え得るその他の要素を考慮しなくてもいいようにしようとする、心理的な単純化をどのように行っているかを表すために、「認知的倹約家」という言葉をつくり出した。ある人の発言や振る舞いはその人の知識や経験を反映したものであるはずなのだが、このような単純化は、対立的な状況におけるある人の持つ気質の影響にほとんど目を向けなくなる、という問題点をはらんでいる。「認知的倹約家」の理論に従えば、同僚は何らかの確たる反対意見を持っている可能性があると考えるのではなく、その同僚を単純に気難しい人であると捉える、基本的にチームプレイを好まない人であると考える、といったことが安易になされてしまう。他者の異なる意見を受け入れ耳を傾ける、ということをしなければ、ビジネス上の意思決定が閉鎖的になされてしまう可能性を秘めているのである。

――FICKEWIRTH, “Communication Impediments: Are You a ‘Cognitive Miser’?”より翻訳・引用。

以上の説明を簡単にまとめると、人の発言や振る舞いは様々な要素の影響を受けて発現するものですが、人は先入観によって他者を定型化してしまうために、その人の経験や考えなどの異なる部分に目を向けなくなってしまう危険性が示唆されています。

そして、先入観によって他者の異なる意見に対して鈍感になってしまうことで、オープンな意思決定が阻害されてしまう可能性を指摘しています。

つまり、人はエネルギーを節約するために目の前の事象を単純化してしまいがちですが、行き過ぎると異なった意見などの重要な情報をも遮断してしまう可能性があるために、注意が必要である、ということが喚起されているのですね!

認知的倹約家の具体例は?

では続いて、私たち人間はたとえばどのような場面で「認知的倹約家」なのでしょうか?

いくつか具体例を見ておきましょう。

たとえば、活字について。

有名な論文や専門書などをコンパクトにまとめた本や記事を、書店やインターネットなどのいたるところで見かけます。

「3分でわかる!マルクス『資本論』」といった具合です。

このような本や記事は、人々がなるべく労力を使わずに物事のエッセンスを獲得したい、という欲求に応えるものです。

なるべく情報処理に労力を使いたくない、という意味で「認知的倹約家」という性質を逆手に取っていると言えるでしょう。

また、最近ではブログの書き方などの記事を読むと、「文字ばかりではなく画像でわかりやすく!」という風潮が強まっていることがわかります。

もちろん、画像などの視覚に訴えかけるものは、うまく使えば効果的に読者の理解を促進することができます。

ただ、だからと言って「文字ばかりのものでは伝わらない。文字だけのものは読む気がしない。」といった言葉を見かけると、思考に費やすエネルギーの節約傾向が透けて見えてしまいます。

これらの例のように、私たちの日常には、知らず知らずのうちにたくさんの「認知的倹約家」であろうとし、また、他人の「認知的倹約家」たろうとする性質を利用しようとする事象に溢れていることがわかります。

意図的に認知的倹約家にならないようにすることの重要性について

以上の内容はあくまでもたくさんある「認知的倹約家」の例の一部に過ぎません。

ただ、人間の「認知的倹約家」であろうとする傾向に身を任せてばかりでは、思考に費やすべき大事なエネルギーをも使わずに過ごすことになりかねません。

私たちはあくまでも、様々な情報をインプット&アウトプットすることを繰り返すことによって、成長し人生を前に進めることができます。

そのため、常に「認知的倹約家」のままでいると、必要なインプットやアウトプットをも怠ってしまうため、人間としての成長を望めません。

一般的に、人にとっての「停滞」は、「退化」と同義語であると言われています。

時には、「認知的倹約家」であろうとする自分のリミッターを意図的に外すことによって、自分の人生を前に進める努力もしていきたいものですね。

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