“カリキュラムマネジメント“――大学などのアカデミックな世界を中心に使用頻度が上がっている言葉である。
カリキュラムマネジメントという言葉は気軽に発信されているが、実際のところその正体は何なのかが不明瞭であると感じられる。さらに言えば、言葉だけが独り歩きしていて、現場での実態を伴っていない、というのが私の率直な感想である。
アカデミックな世界に生きる方には、同じように感じている方も少なくないのではないだろう。
そして、先日 カリキュラムマネジメントに関する研修を受け、大学関係者たちと議論する中で、上述のような思いは確信へと変わったのである。
そこでこのページでは、以下のようなテーマについて考察を試みたいと思う。
- カリキュラムマネジメントとはいったい何なのか?
- カリキュラムマネジメントはどうあるべきなのか?
もちろん、反論やさらなる深察のコメントなどは大歓迎である。
カリキュラムマネジメントとは何か?
まずは、今回のメインテーマである「カリキュラムマネジメントとは何か?」ということを先に明らかにしておきたい。本章では、そもそも「カリキュラム」とは何かということを概観した上で、「カリキュラムマネジメント」の意味について考察を試みることとする。
そもそもカリキュラムとは?
カリキュラムマネジメントについて考察するにあたって、まずは「カリキュラムとは何か?」ということを明らかにしておく必要がある。
ただ、カリキュラムの意味については、様々な定義がなされている。その目的に焦点が当たったものからその方法やプロセスに焦点が当たったものまで、非常に幅広い説明がなされているために、明確にひとつに定義しがたい言葉である。
しかしながら、いくつかの定義づけを見ることで、カリキュラムという言葉を大まかにではあるがとらえることはできる。アカデミックな情報へのアクセス可能性を高めることをミッションとするIGI GlobalのWebサイトの説明がわかりやすいので引用する。
The materials, lessons, and academic content taught in school for the purpose of achieving targeted educational outcomes.
――IGI Global “What is Curriculum” より引用。
上記の定義を日本語に訳すと、「目指すべき教育成果を達成することを目的とした、学校で展開される教材や授業、学術的コンテンツ」といった意味である。
また、教育者養成からカリキュラム戦略の策定に至る包括的な教育支援サービスを展開するEducation ElementsのWebサイトでは、カリキュラムが以下のように定義されている。
Curriculum is not a textbook, nor the materials, videos and worksheets that help us instruct students. It is the knowledge and skills that students are expected to learn as they progress through our school system.
カリキュラムは、学生の学びを支援するのに有用な教則本や教材、ビデオやワークシートを指しているのではない。カリキュラムとは、学校の制度や仕組みを通して学生が習得することが期待される知識や技能のことである。
以上のような定義を見ると、カリキュラムには2つの側面で考える必要があることがわかる。1つ目は、教育の「目的」である。すなわち、学校が提供する教育サービスを通じて、学生にどのような知識やスキルを身に着けさせるかを明確化して定義づけることである。2つ目は、教育目的を達成するための「手段」である。これには、科目や教員の配置から教材など、教育上の様々なサービスが含まれる。
そして、大事なことは、カリキュラムにはまず到達すべき目標があり、それがあってはじめて科目や教員などの最適配置が明確化されるということであろう。この点に関しては、カリキュラムマネジメントに関する研修を受けていく中で、どこの大学もできていない部分であり最も大事な部分であると感じた。後ほど詳述する。
カリキュラムマネジメントとは?
続いて、カリキュラムの意味を踏まえたうえで、カリキュラムマネジメントの意味を確認していきたい。
そもそも、マネジメント(英:management)とはもともと「何とかする」といったコアの意味をもつmanageが名詞化したものである。組織の経営で考えれば、「組織の経営目標を達成するために、人・もの・金・情報などの限られた経営資源を有効活用し、成果を最大化するためのプロセス」といった意味でとらえることができる。これを教育に置き換えて考えてみると、「教育目標を達成するために、教育資源を有効活用して成果の最大化を目指すこと」といった意味になるだろう。
これをさらに具体化して、カリキュラムマネジメントにまで落とし込んでみると、「学生が習得すべき知識や技能を最大限身につけられるよう、教員・職員や施設、お金、教育課程を最適に配置すること」であると考えられる。
ここまではカリキュラムマネジメントを語源から考えてきたが、ここからはさらに、カリキュラムマネジメントがどのように説明されているのかを見ていく。以下は、主に医療系の教育機関に技術的な教育支援サービスを提供しているone 45というWebサイトからの引用である。
How do you prevent curriculum drift from occurring? How do you ensure that your carefully designed curriculum adapts properly to the forces pushing it around? You do it with a structured set of activities designed to assess and adjust your curriculum; in other words, with curriculum management.
カリキュラムの漂流が起こるのを防ぐためにはどうすればいいのだろうか?注意深くデザインしたカリキュラムが、外部からの種々の圧力に対して適切に対処できるのを確実にするためには、どうすべきだろうか?カリキュラムを適切に扱ために必要なのは、カリキュラムを評価し適応させられるようデザインされた体系化された一連の手法であり、言い換えれば、それがカリキュラムマネジメントなのである。
この説明からわかることは、カリキュラムマネジメントが計画したら終わりのものではなく、継続して改善を要する活動であるということである。何かを始めると、計画通りに無風で物事が進むことはほぼない。物事が進んでいくにつれて、不確定要素や内部環境・外部環境の変化に対して適応していくことが不可欠である。そして、このような不確実性に対処することこそ、マネジメントの本質であると言える。
そして、ここまでの議論を踏まえると、「カリキュラムマネジメント」は以下のように表現することができるだろう。(あくまで私見であることにご留意いただきたい)
グループワークから見えたカリキュラムマネジメントの問題点とは?
先述の私が参加したカリキュラムマネジメントに関する研修では、カリキュラムマネジメントの具体的な手法やチェックポイントなどが提示された。たとえば、組織のカリキュラムマネジメントのチェックポイントとして、以下のような大項目が示され、その下にさらに細かい小項目が提示されている。
- 教育理念の具現化
- カリキュラム P・D
- カリキュラム C・A
- 組織構造
- リーダーシップと合意形成
- 組織文化
- 条件整備活動(4M)
- 学外との連携
そして、ワークシートでこれらの項目について所属する組織の現状と照らし合わせながらチェックを行った後に、大学等の教育関係者で構成されるグループでディスカッションを行った。
ディスカッションを進める中で特に気になったのは、各大学とも教育行政等で提示されたカリキュラムマネジメントの指針にしたがって、なんとなく後手で対応しているということである。カリキュラムマネジメント自体、古くからずっと議論されてきた概念ではないため、はじめからそれありきで運営できていないこと自体は、仕方のないことではある。
しかしながら、各大学とも、なんとなく カリキュラムマネジメントの方法はこうだ!、こんな方法で教育内容を評価するよ! と示された内容を受けて、ミクロの部分ばかりの対応になってしまっている。議論する際によく出てきたキーワードは、「文科省」「補助金」である。これらの言葉が、現在の大学のカリキュラムマネジメントを象徴しているように思われる。
すなわち、ほとんどの大学は、文科省の施策に適合するため、そして、補助金を獲得するために、カリキュラムをマネジメントしているのである。
誰のためのカリキュラムマネジメントか?
カリキュラムマネジメントは何のために行うのか?それは、カリキュラムマネジメントとは?の部分で見てきた通りで、目指すべき教育成果を達成するためである。
しかしながら、カリキュラムマネジメントについてひとたび議論を始めると、大学は教育行政の方にばかり目を向けていることも、前章で確認したとおりである。これらを鑑みて、カリキュラムマネジメントのあり方を考える際にまずもって考えなければならないのは、「誰のためのカリキュラムマネジメントか?(to whom)」ということである。
この点については、カリキュラムを構築した先のベネフィットを享受するのが学生であることから、「学生のためのカリキュラムマネジメント」であると考えて間違いないだろう。
せっかくカリキュラムマネジメントのあり方を考えるのであれば、具体的な方法論ありきで枝葉の部分ばかりを弄るのではなく、「どうすれば学生の学習成果を最大化できるか」というよりconceptualな部分から設計していく必要がある。そうすれば、カリキュラムマネジメントを体系的に設計できるとともに、何を成果とするかも明確なため評価・改善もより効果的に行えるようになるだろう。
もちろん、文科省の指針や補助金を無視していいというわけではないが、それはあくまでも「カリキュラム」においては副次的なものである。したがって、そういった教育行政への適応的側面は、学生の方を向いたカリキュラムマネジメントを先に構築した上で、それらとどうしたら折り合いがつけられるかという順序で検討がなされるべきであろう。
カリキュラムマネジメントはどこを目指すべきなのか?
では、カリキュラムマネジメントとのto whomを確認したところで、カリキュラムマネジメントはどこを目指していくべきなのか(where)という部分を考察していきたい。
しつこいようだが、カリキュラムマネジメントの主たる目的は、学生の学習成果を最大化することであることが考えられる。そして、この学習成果は、3つのポリシーの中で明示されるのが通常である。
しかしながら、私が所属する機関に限った話ではないが、多くの大学において学習成果が明確に定義づけされているとは言い難い。したがって、学習成果を、カリキュラムマネジメントを行っていくことを念頭に置いたうえで適切に定義づけることが不可欠である。
加えて、カリキュラムの目指すところは、誰が見ても意味が明白でなくてはならない。なぜなら、それらは職員だけでなく、学生や教員も利用するものだからである。
私も以前大学受験の現場にいたが、依然と比較して、大学のポリシーなどをチェックする受験生が増えてきていると感じた。また、受験時だけでなく、大学生活においても、自分たちはどのような知識や技能を身につけようとしているのか、そして、今の学びはそのどの部分に位置するのかを、学生自身で確認できるようにするためでもある。
カリキュラムのコンセプトを明確化することは、学生だけでなく教員にとってもメリットのあることである。これはすなわち、各科目の全体の中での位置づけが分かるようなカリキュラムを構築できれば、教員も授業内容を評価・改善しやすいからである。
また、カリキュラムを先に決めてしまうことで、はじめて授業配置や組織構造などの枝葉の部分のどの部分を変えていけばいいのかが明らかになる。これは、企業経営などの例で考えるとわかりやすいであろう。
たとえば、「世の中では採用戦略をきちんと策定してから採用活動を行っているのだから、わが社も採用戦略を策定しなさい」と言われても、ふわっとした抽象的で実効性の薄い戦略がなんとなくできて終わってしまうことは想像に難くない。ところが、これを「対中国売り上げを50%以上にするための採用戦略を構想しなさい」と言われれば、採用するべき人のスペックや、採用チャネルなどを容易に考え出すことができるだろう。
これはひとつの例にすぐないが、カリキュラムマネジメントも本質的なところでは同じである。コンセプトという幹の部分が土台をなすことで、はじめて枝葉の部分もきちんとしたものが出来上がっていくのである。これが、幹の部分がいびつであると、枝葉の部分もバランスの取れないいびつなものとなってしまう。木の幹がS字に曲がった松の木を想像してもらえばよくわかるだろう。
そして、カリキュラムはどこを目指すべきかについては、私見ではあるが、「学生にとっても教員にとっても、それぞれの科目(等の教育資源)の全体での位置づけが把握しやすいカリキュラム」を目指すべきではないかと考える。
カリキュラムの目指す方向性と全体像、そして、その中での一つ一つの部分がどの位置にあるのかを明確に可視化することによって、学生は現在学んでいる内容がどのような知識や技能の習得につながっているのかを把握することが可能になり、目的意識がより明確になると考えられる。さらに、教員も自分の担当科目が全体の中でどのような役割を担っているのかを把握できるようになることで、自身の提供する教育コンテンツの質を自ら評価し、自走的に改善していくことが可能になる。
以上のような効果が見込まれることから、カリキュラムマネジメントを考えるにあたって、まずは出発点を「学生にとっても教員にとっても、それぞれの科目(等の教育資源)の全体での位置づけが把握しやすいカリキュラムの構築」とすることが望まれる。
そして、カリキュラムマネジメントのより具体的な中身については、ビジョンや3つのポリシー(ディプロマ・ポリシー/カリキュラム・ポリシー/アドミッション・ ポリシー)などとの一体性を考慮しながら議論をしていく必要があることを最後に申し添えておきたい。
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